阪神淡路大震災復興支援・詩の朗読とメモリアルコンサート

117

 1990年代の初期まで、神戸の臨海部では多くの工場が操業していました。しかし、バブル経済の崩壊など、その跡地利用計画の必要性に迫られた時代の潮流に、私たちは芸術文化のまちづくりとして【癒しの森】を提唱したのが1994年の11月のことでした。それまで神社仏閣、大学や銀行でのコンサート等、街のインフラを活用したイベントでまちの活性化を図ってきた実績から、脇の浜の神戸製鋼所を舞台に、バリ島の巨大竹のオーケストラ「ジェゴグ」の演奏会を成功させました。直後の正月、神鋼ラガーマンが7連覇の偉業を成し遂げた117未明、地鳴りとともに神戸は瓦解したのでした。その場は今、HAT神戸として復興のシンボルになる一方、【癒しの森】は神戸復興計画案として継続しました。

 先立つ1989年の暑い秋、訪問したベルリンの壁沿いの美術館には、時代を切り裂くような鋭い空気が張り詰めていました。ハンガリーを経由してヨーロッパ・ピクニックに集う東ドイツ市民で溢れた列車群が、当局の妨害で立ち往生している本当の意味を世界中が知るのに時間は不要でした。作家のM・エンデやA・ワイダ監督と芸術文化の多様性を重視する「ヨーロッパの家」を提唱する、美術館のM・ヘルター館長も壁の崩壊は想定できませんでした。兵庫県版ポンピドゥーセンターを構想された当時の貝原俊民知事に、アーティストインレジデンスの先駆施設であるこの「ベターニアン」をご紹介できたのは、帰国の飛行機での偶然でした。一部は、県立芸術文化センターとして花が咲きました。

 阪神・淡路大震災から20年もの歳月が流れ、神戸は復興を遂げたように見えています。 しかし、今なおケアが必要とされるなど、多くの課題が残されており、未曾有の災禍は日本の脆弱性を直撃し、私たちの心に突き刺さったままです。これまで芸術文化での癒しのまちづくりに取り組んできた私たち実行委員会が、震災体験を普遍化し全国に伝えたいとの想いで継続してきたのが、公募詩による朗読とコンサートです。竹下景子さんの温かいご協力で全国から2500作品が寄せられ、その詩集『明日への記憶』は各地の図書館や学校に寄贈され、防災教育等で活用されています。このように117は311に継承され、安心できる新しい市民社会の創造を目指しています。

 地球温暖化による異常気象は様々な災害の原因になっています。この20年間、中越地震や中国四川省、インドネシア等世界中の震災や巨大台風や豪雨による自然災害で多くの貴重な人命や財産が犠牲になりました。もちろん迫り来る南海地震への万全の備え等、私たちの課題は尽きません。これ以上の想定外は許されません。